第10回 松本そば祭り二日目 @松本城公園2013年10月13日 17:14


千歳橋(せんさいばし)でもそば祭りをPR。

                    お城の正門は「黒門」です。

                                        大天守と乾小天守
                                        毎年恒例の「漆塗り」が終わり、塗り替えられた
                                        壁は文字通り漆黒に輝いています。

今日も快晴

                    高島城の諏訪姫さまがおいでになりました。

                                        今日も大勢のお客さまです。



長野県飯山市の「信州ぼくちそば 石田屋一徹」


                    植物の葉の繊維オヤマボクチをつなぎに使った飯山
                    地方に古くから伝わる伝統のそばです。

                                        ざるそばと笹寿司のセットで600円


笹には殺菌作用があるので上杉謙信の陣中食に
なった寿司で、ご飯は寿司飯です。


                    ぼくちそばの特長で、細打ちのそばはコシが強く
                    喉ごしが良くてツルツルと入っていきます。


                                        そば湯も濃いですね。



福島県からは「会津磐梯そば道場」



                                        会津高遠そば (600円)


昔々、伊那市高遠山間部の家庭で作られた蕎麦つゆは「からつゆ」と
呼ばれたみそ味の蕎麦つゆです。
近くで簡単に手に入る食材で簡単に作ることができる蕎麦つゆでした。
「大根おろしの辛味・焼き味噌の風味・ねぎの辛みでそばを食べる」
これが、江戸時代から伝わる本来の「高遠そば」の食べ方でした。
しかし、甘くて上品な出汁の効いた醤油味の蕎麦つゆの方が好まれる
ようになるといつしか忘れ去られ姿を消してしまいました。

ところがある時、伊那市の団体が会津地方と交流するなかで会津地方に
「高遠そば」なる蕎麦が存在することを知りました。
歴史をたどった結果、伊那市高遠から伝わった食べ方である事が判明し
ました。
ですので、本家の信州高遠では初めから「高遠そば」と呼ばれていたの
ではなく、会津でそう呼ばれたものが二十年ほど前に逆輸入されたのです。

本家で忘れ去られたものを脈々と受け継ぎ、本家に返して下さった事には
本当に感謝々々ですが・・・。

もりそばと比べて、スプーン一杯の大根おろしが
100円とは高すぎませんか?
それに「焼き味噌」も無いし、「ねぎ」は少々!




 江戸時代初期、蕎麦がようやく「そば切り」として食べられはじめたころに、
保科正之公と言う殿様が高遠から出羽を経て会津に移りました。
(保科正之公は三代将軍家光公とは異母兄弟です)
高遠三万三千石から、二十三万万石への格上げですから多くの家来を連れて
行ったわけです。
格に見合った家来の数にするために、高遠の百姓までも含まれていたと言われ
ています。
そのために、高遠のそば文化がそのまま会津に伝えられたんですね。
その時に高遠から会津に伝えられた味が、三百年もたった今でも高遠そば
と呼ばれて残っていたわけです。

高遠の藤沢・長藤・美義地区の家庭では今でも「からつゆ」でそばを食べる
のが一般的で、出汁の効いた醤油味のつゆは「あまつゆ」と呼ばれています。
藤沢・長藤・美義地区は高遠の城下からは遠く離れた山間の小さな集落です
ので本来の食べ方が残っていたのでしょうか。

ちなみに、一本ねぎで食べる大内宿の高遠蕎麦(ねぎそば)は有名で観光客
には人気ですが三澤屋のご主人が考案された大内宿独自の商品で、古来より
伝わる伝統の食べ方と言うわけではありません。



第10回 松本そば祭りの過去トピ
http://ahoodori.asablo.jp/blog/2013/10/12/7006678



第9回 松本そば祭り
http://ahoodori.asablo.jp/blog/2012/10/06/6595125
http://ahoodori.asablo.jp/blog/2012/10/07/6596250
http://ahoodori.asablo.jp/blog/2012/10/08/6597093